2004年
4月 6
日(火)
其ノ三十五
「春渡る その折節に 絆あり 」
「三つ子の魂百まで」と言われるように幼い頃に 培われた性格は幾つになっても変わらないものだが、 成人した後も社会に出て、沢山の人たちと出逢い、 学び、影響を受けたことは、その後の人生に於いても 決して忘れないものだと思う。
殊に厳しく叱られたり、諭されたりしたことは尚更の ように忘れることは出来ないだろう。
『説教マン』と言われたことのある僕は、本当によく 他人を説教したり叱ってきたものだとつくづく思う。
会社のスタッフは勿論、外部のスタッフにも公平(?) に、いやこれは誰彼構わずという訳ではなくこれからも ずっと付き合うことになるであろう仲間に限るが、時に 感じては自分なりの人生観を語って来た。
その洗礼を受けてきた愛すべき隣人たちは、僕のこ とを『鬼』と言っているらしい(笑)。
人の道をはずすような行動や言動、思いやりのない 自分勝手な姿勢、根本的な性格に由来する様々な 怠惰さ、などにはとことん叱ることをしてきたようだ。
嫌われることも辞さずに、言い続けてきた説教の数々。 我ながらそのエネルギーには呆れてしまうくらいだ。
勿論、叱ってばかりではなく時にはフォローもするし誉め ることもするが、その量は説教の数には遠く及ばない。
今夜は若い頃にそんな沢山の洗礼を受けてくれた友と 久しぶりに、酒宴の時間を過ごした。
友が懐かしく語る昔の「僕の説教話」に、僕自身も記憶 の糸を紡いでみるのだが、叱られた側である友の記憶の確 かさには脱帽そして敬服させられてしまった。
友の眼は輝いていて、あんな事こんな事があってこその自分 が今存在している事を語りながら、過去の僕の叱言に心か ら感謝してくれていた。
あの頃僕も確かに若かった、でも一生懸命生きていた事は 僕のささやかな誇りである。
最近では叱る機会も少なくなったが、歳のせいかもしれない。 時代が変わり、世代も変わり、叩かれ弱い若者が増えてきた。
一概に叱ることだけが、その人のためになる訳ではないのかもし れない。しかし、誰かが言わなければ、気付かずに生きていって しまう若者ばかりになってしまう。
親も叱らない、学校の先生も叱らない、先輩も会社の上司も 叱らない。こんな時代だからこそ、『叱る』ことの意味が問われる のではないだろうか。
今僕は『叱り方』を学び、『愛するとは何か』を真剣に考えな がら、若者と接して行こうと思っている。
若い頃沢山の『説教』という洗礼を受けてくれた友を前に、時 代を超えて、時間を超えて、培われた一つの大切な『絆』を感じ た夜だった。
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